本と、街に出る。

本屋の話と、それ以外の話。

第三の夢 面接

面接は恐ろしい。

面接は恐ろしい。
こちらの話をニコニコ聞いておきながら「お祈り」、何回も面接を通しておいて最後に「お祈り」。

コピペ程度の文章で祈ろうとはなんと無礼な、祈りとはそんな軽々しいものではないぞ…といつも思う。もっと!平身低頭!恭しく!!この私に最大限の敬意を示せ!!!

祈り祈られ幾星霜、だんだん面接への緊張感も失せ、だんだん「飽き」と「疲れ」が溜まり、引き換えに「やる気」が消えていく。
さて明日も面接があるぞしかし何も準備していないこれは大丈夫なのかでもやる気は出ないし準備したところで祈られの可能性を考えるとコスパが悪いというか今から準備して間に合うのかおやもうこんな時間かなんとなく眠いしもう寝よっかな…という惰眠の末に、
こんな夢を見た。

絶望の起床

アラームの音にやっと意識がはっきりしてきた。今日は10:00から面接だ。
重い頭をなんとか枕から剥がし、さて今は何時だろうかとスマホを手に取る。

09:50。

09:50か……09:50????!!!!!!

これは…あかん。やってもうた。もうだめだ。間に合わないし欠席連絡を入れるにしても言い訳できなさすぎる。どうしよう。

なんにせよブッチはまずい。どうにか許してもらうしかない。
小学校から大学まで、学校という時間管理の権化のような場所で10年以上過ごすことで身についた「遅刻の言い訳スキル」を今発揮するべき時だ。

厳かな面持ちでスマホのダイヤルパッドを順に押していく。
決意を込めた指でそっと受話器ボタンを押す。
コール音。

「はい、〇〇株式会社採用担当です。」

勝負はこの一言目から始まっている。何でもいいからそれっぽい言い訳を捻り出す。

「あ、お世話になっております〇〇大学の…」

面接会場にいた

急に場面が変わってしまった。さっきの遅刻の電話はどうなったのだ。まさか夢か。

私は「洋服の青○」閉店セールで買った上下合わせて5000円以下の安スーツに身を包み、
どこかのビルの会議室にいた。

目の前には歳を食ったおじさまおばさまがズラリ。まぁ多分偉い人だ。
偉い人というのは、他人に対して偉そうな態度を取ることに慣れているから、ある種のオーラが出るのだと思う。彼ら彼女らは皆一様に、「偉い人オーラ」が漂っていた。

「〇〇さん、先日の面接でもお会いしましたね」
端に座った面接官が私に言う。そうなのだろうか、そうなのかもしれない。私は人の顔を記憶するのが苦手なので、正直なところ、一週間以上も前に10分喋った程度の人間の顔など覚えているはずもないのだが…。
「はい、その節はどうもお世話になりました、またお会いできて嬉しいです。」
我ながら堂々とした良い返事である。

そこから面接が始まる。面接官がいろいろな質問をする。私はそれに一つずつ答えていく。時折笑いが起こる。これはすごい。今までこんなことはなかった。完全に場を支配する感覚。自分の一挙一投足に感心と称賛の目が向けられる感覚。素晴らしい!

面接が終わり、私は晴れやかな顔で部屋を後にした。ああ良かった、面接がまた一つ終わった。とにかくやることをやったので大満足だ。ああ面倒な用事がまた一つ終わった。

 

そこで目が覚めた。

面接は終わってなどいない、寧ろこれから始まるのだ。

私はガッカリしながら、寝癖を無理やり撫でつけ、スーツに腕を通す。

 

 

 

 

第二の夢 死んだ祖母

こんな夢を見た。

 

2年ほど前、母方の祖母が癌か何かで亡くなった。
その祖母が、時々夢に出てくることがある。今回の夢が、その3回目だった。

 

1回目は祖母の危篤を聞いた日の夜。

祖母がじっと私を抱きしめるだけの短い夢だった。
家の台所で静かに涙を流す私を、後ろからじっと抱きしめる体温が暖かかった。
私が見る夢にしては珍しく、温度のある夢だった。

電話口で「今日が山場だ」と聞いて、
(入院したのだから死ぬことはほぼ確定していたのに!)
今更ながら狼狽した私の心が見せた夢なのだろうと思った。
まだ大学に入学して間もない時分だったからだろうか、夢の中の私は高校の制服を着ていた。

 

2回目は数ヶ月前。

私たち兄弟と母、母の姉とその息子、祖母で毎年墓参りに行くのが恒例なのだが、
その夢だった。

私の背格好はおそらく小学生低学年のそれだったと記憶している。
久しぶりに、建物や周囲の大人を大きく感じたから、多分そうだと思う。

墓参りやら観光やらが終わり、美味しいものをたらふく食べ、
飛行機で帰ってきて空港にてさぁ解散しようという時に、
私は、ここで別れたら、もう祖母には会えないということを、唐突に悟った。

私は泣き叫んで色々と何かを言ったようだが、何を言ったのかはわからない。
私の声は誰にも聞こえなかったようで、誰も私には見向きもせず、各々の目的地へと足早に去っていった。
祖母は(生前いつもそうしていたように)スタスタと歩いて行った。

 

3回目が昨日である。

私は、また高校生の姿をしていた。
今回の夢は、最初から祖母がいずれ死ぬことをわかった状態で始まった。

だから、私も計画的に動いた。祖母に手製のパウンドケーキ(高校の文化祭で何度か作ったから、その記憶か?)を作ってあげようと考えたのだ。

ところが、なぜかパウンドケーキを作る時間が巡ってこない。必ず、洗濯物を取り込んできてとか、台所の鍋の火を消して来いだとか誰かに言われて、何かしらの邪魔が入るのだ。

「早くパウンドケーキ作らないと、もう時間がないんだよ!」と言ってはみるものの、
誰にもその声は届いていないようで、皆が慌ただしく動く家の中で私は途方に暮れていた。

 

これが、今までに見た夢のあらましである。

こんな夢を見るなら、さぞかしお祖母ちゃん子だったかと思われそうだが、そうでもない。

勿論、祖母のことは好いていたし、一軒家に一人暮らしでも掃除や家事も欠かさず、ご近所付き合いも良く、大した人物だったと思う。

 

ただ、私は葬式の時、自分が予想したほどには悲しいと感じなかったのだ。

流石に危篤の連絡を受けた時は涙が出たし、叔父(喪主だった)の挨拶を聞いた時にもやはり涙は出た。それでも、ご近所さんや母、叔母のようには悲しまなかったことは確実である。

亡くなる前、入院中の祖母の容態の変化に一喜一憂し、献身的に世話をした母と違って、私は大学進学の準備に気を取られていた。医師の余命宣告は「明日死ぬかもしれない」という切迫感を持たず、つまるところ、私は母や叔母ほど、祖母の健康状態に関心を持たなかったのだ。

所詮その程度の悲しみなら、あまり大っぴらに悲しむそぶりを見せるのもかえって失礼だと思い、私は、ほぼ普段通りの振る舞いで葬式を終えた。いつもと同程度には冗談を口にしたし、いつもと同程度の声のトーンで話した。顔色から食欲まで、全てが平常運転だった。

 

そんなだから、夢を見たのだろうか。
妙な逆張りをせず、他の参列者と同様に悲嘆に暮れるべきだったのか。
葬式中はもっと故人との思い出を振り返るべきだったのだろうか。

 

よくわからないが、次に夢を見るとき、私はどうやって祖母の見送りに失敗するのか、
時折、気に掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一の夢  バス停の海

こんな夢を見た。

 

私は何処かから帰る途中で、スマートフォンの乗り換え案内を片手に

どのバスや電車を使うと門限に間に合うか、あれこれ思案していた。

 

見渡す限り木も、建物も見つからない平野に

ポツンとたっている小さなバス停である。

 

検索画面に気を取られていて気づかなかったのか、

いつの間に目の前にバスが停まった。

 

このバスに乗れば良いのか、それとも見果てぬ駅を目指して歩くべきなのか、

私は自分で判断ができない。

 

検索画面とバスの行き先表示を何度も見比べる、バスは今にも走り出しそうだ。

私はおぼつかない足取りでバスに乗り込んだ。

 

バスの外に視線をやると、そこには草原と、境界の曖昧な水平線が広がる。

紫の空に照らされ輝く海面がキラキラと光っていた。

 

そんなにも綺麗な景色が広がっているのに、私はずっと時間を気にしている。

 

ここで目が覚めた。