本と、街に出る。

本屋の話と、それ以外の話。

第二の夢 死んだ祖母

こんな夢を見た。

 

2年ほど前、母方の祖母が癌か何かで亡くなった。
その祖母が、時々夢に出てくることがある。今回の夢が、その3回目だった。

 

1回目は祖母の危篤を聞いた日の夜。

祖母がじっと私を抱きしめるだけの短い夢だった。
家の台所で静かに涙を流す私を、後ろからじっと抱きしめる体温が暖かかった。
私が見る夢にしては珍しく、温度のある夢だった。

電話口で「今日が山場だ」と聞いて、
(入院したのだから死ぬことはほぼ確定していたのに!)
今更ながら狼狽した私の心が見せた夢なのだろうと思った。
まだ大学に入学して間もない時分だったからだろうか、夢の中の私は高校の制服を着ていた。

 

2回目は数ヶ月前。

私たち兄弟と母、母の姉とその息子、祖母で毎年墓参りに行くのが恒例なのだが、
その夢だった。

私の背格好はおそらく小学生低学年のそれだったと記憶している。
久しぶりに、建物や周囲の大人を大きく感じたから、多分そうだと思う。

墓参りやら観光やらが終わり、美味しいものをたらふく食べ、
飛行機で帰ってきて空港にてさぁ解散しようという時に、
私は、ここで別れたら、もう祖母には会えないということを、唐突に悟った。

私は泣き叫んで色々と何かを言ったようだが、何を言ったのかはわからない。
私の声は誰にも聞こえなかったようで、誰も私には見向きもせず、各々の目的地へと足早に去っていった。
祖母は(生前いつもそうしていたように)スタスタと歩いて行った。

 

3回目が昨日である。

私は、また高校生の姿をしていた。
今回の夢は、最初から祖母がいずれ死ぬことをわかった状態で始まった。

だから、私も計画的に動いた。祖母に手製のパウンドケーキ(高校の文化祭で何度か作ったから、その記憶か?)を作ってあげようと考えたのだ。

ところが、なぜかパウンドケーキを作る時間が巡ってこない。必ず、洗濯物を取り込んできてとか、台所の鍋の火を消して来いだとか誰かに言われて、何かしらの邪魔が入るのだ。

「早くパウンドケーキ作らないと、もう時間がないんだよ!」と言ってはみるものの、
誰にもその声は届いていないようで、皆が慌ただしく動く家の中で私は途方に暮れていた。

 

これが、今までに見た夢のあらましである。

こんな夢を見るなら、さぞかしお祖母ちゃん子だったかと思われそうだが、そうでもない。

勿論、祖母のことは好いていたし、一軒家に一人暮らしでも掃除や家事も欠かさず、ご近所付き合いも良く、大した人物だったと思う。

 

ただ、私は葬式の時、自分が予想したほどには悲しいと感じなかったのだ。

流石に危篤の連絡を受けた時は涙が出たし、叔父(喪主だった)の挨拶を聞いた時にもやはり涙は出た。それでも、ご近所さんや母、叔母のようには悲しまなかったことは確実である。

亡くなる前、入院中の祖母の容態の変化に一喜一憂し、献身的に世話をした母と違って、私は大学進学の準備に気を取られていた。医師の余命宣告は「明日死ぬかもしれない」という切迫感を持たず、つまるところ、私は母や叔母ほど、祖母の健康状態に関心を持たなかったのだ。

所詮その程度の悲しみなら、あまり大っぴらに悲しむそぶりを見せるのもかえって失礼だと思い、私は、ほぼ普段通りの振る舞いで葬式を終えた。いつもと同程度には冗談を口にしたし、いつもと同程度の声のトーンで話した。顔色から食欲まで、全てが平常運転だった。

 

そんなだから、夢を見たのだろうか。
妙な逆張りをせず、他の参列者と同様に悲嘆に暮れるべきだったのか。
葬式中はもっと故人との思い出を振り返るべきだったのだろうか。

 

よくわからないが、次に夢を見るとき、私はどうやって祖母の見送りに失敗するのか、
時折、気に掛かる。